酬恩庵一休寺  
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厳しい修行 -華叟禅師との出会い-

 一休さんの次の師は、虚堂和尚から数えて六代目の大徳寺派の華叟禅師でした。華叟は権力に迎合する京の寺院を嫌い、大津の堅田に祥瑞庵を結んでいたのです。弟子たちに対する華叟の教育姿勢はたいへん厳しく、一休さんの修行も命がけだったといわれています。

 祥瑞庵での生活は「赤貧洗うが如し」といった暮らしであり、一休さんは京へ帰って内職までして生活を支えていたといいます。こうしたことから、一休さんは当時のつつましい庶民の暮らしのなかに自ら入り、「庶民禅」に行き着かれたのではないでしょうか。この庶民禅は、心の持ち方を第一義とするものです。だから、精神のなかの悟りを実際行動のなかに出してこそ、初めて生きた禅となるのです。

 一休さんは、三十六歳までの厳しい修行のあと、外の世界に飛び出して、商人に会えば商人に、武士に会えば武士にと、その場その場で人となってゆく行動派の人でした。身をもって自分の修行・会得したことを皆に教えさとした人です。民衆のなかに飛び込み、民衆とともに生きるという一休さんの姿こそ、本当の宗教家といえるのではないでしょうか。貧困と飢餓にあえぐ庶民たち、一方で豪著にふける権力者や、庶民の苦しみを救うことのない似非宗教者たちに対する反骨を育てていった一休さんでした。後年の一休さんの精神力は、こうした時代にはぐくまれたのでしょう。