酬恩庵一休寺
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  一休寺の名勝・文化財>一休禅師木像 
写真:酬恩庵一休寺パンフレット
方丈は江戸時代、1650年(慶安3年)に、加賀藩・三代目藩主、前田利常の寄付によって、再建されたものです。同候は1615年(元和元年)の「大坂夏の陣」の時、大坂に向かう途中、木津川に陣をしいたときに、一休寺をお参りしたところ、一休和尚が書き残した数々の「おきて」を見て、たいそう感心し、尊敬の念を抱くと共に、寺があまりに荒れ果ててしまっている事をなげき、利常36才の時、酬恩庵の再興に乗り出したのでした。
★方丈って何?
方丈とは禅宗寺院における住職の接客や仏事に使う建物で、いわゆる居間となる所です。
方丈庭園を前に、ひとまず腰を下ろして心が落ち着くまでゆっくりくつろぎましょうか。
重要文化財 ■一休禅師木像
写真:酬恩庵一休寺パンフレット
方丈中央の仏間には、一休禅師木像を安置しています。この像は、一休さんが亡くなる前の年に弟子の墨済に命じてつくらせたもので、重要文化財に指定されています。 この木像は、一休が自分の頭髪とヒゲを抜いて植え付けた、珍しいものです。像にはその跡が残っています。
★一休さんは何で木像に自分の頭髪とヒゲを植えつけるような「けったいな事」しはったの?
僧侶は頭をそる事が普通であったのですが、一休さんはざんばら髪で、無精ひげをのばしたすがたをしていました。当時の禅僧はまるで貴族のような扱いを受けていたのですが、それとはおよそ縁遠い姿です。これは形式ばった禅林の規則をことさら避け、常に親しみ易い姿で人々に接したことのあらわれ、と考えられています。木像に自分の頭髪やヒゲを植えたのは、形にとらわれるのではなく、精神が大切であるという事を弟子をはじめ、多くの方々に知らすためにされたのです。
■襖絵
写真:酬恩庵一休寺パンフレット
方丈の襖絵は、江戸時代初期の画家、狩野探幽が描いたものです。
★狩野探幽さんってどんな人?一休さんとどんな関係?
江戸時代初期の画家なので、一休さんとは直接会ったことはありません。江戸幕府の御用絵師として、二条城・名古屋城・大徳寺などの障壁画も手がけた人です。
■一休さん御使用の輿(こし)
一休禅師が81才で大徳寺の住職になった際、ここから紫野まで乗って通ったという輿が置かれています。